戦後パリと閉塞したファッション

1947年2月12日、パリのモンテーニュ通り30番地。その日、ファッション史に残る革命が幕を開けた。第二次世界大戦の終結から2年が経っていたが、フランスはいまだ配給制度の残滓の中にあった。戦時中は布地も厳しく制限され、女性のファッションは細身のシルエット、短いスカート、大きな肩パッドによる男性的なラインが「常識」となっていた。質素で機能優先のその時代に、クリスチャン・ディオールは真っ向からノーを突きつけた。

クリスチャン・ディオールは1905年、ノルマンディーのグランヴィルで生まれた。裕福な家庭で育ち、芸術への情熱を持ちながらも父親の意向で政治学を学んだ。世界大恐慌で家族が財産を失い、画廊の仕事やデザインのアシスタントを経て、1946年にテキスタイル実業家マルセル・ブサックの支援で自身のメゾンを設立した。

「コロール」コレクションの衝撃

ディオールのデビューコレクションは「コロール(Corolle=花の冠)」ラインと、「アン・ユイット(En 8)」ラインから構成されていた。そのシルエットはそれまでのファッションとあらゆる点で異なっていた——なだらかで丸みを帯びたショルダー、胸元を優美に際立たせるバスト、細く強く絞られたウエスト、パッドで丸みをつけたヒップ、そして膝下10〜12センチに達するロングスカート。まるで花が開いたような、豊かで女性的なフォルムだった。

使われた生地の量もそれまでの常識を破っていた。一着のドレスに10数メートル以上の布を使用する例もあり、配給時代の節約精神とは完全に決別した。パリの仕立て職人たちの技術が惜しみなく注ぎ込まれた、贅沢の極みのようなコレクションだった。

ハーパーズ・バザー誌の伝説的編集長、カーメル・スノーはコレクションを見てこう叫んだ——「まるでニュー・ルックね!(It's quite a new look!)」この言葉が世界中に広まり、コレクションの代名詞として定着した。ディオール本人は「コロール」という名称を好んでいたが、「ニュー・ルック」の方が広く使われることになった。

賛否両論——解放か、逆行か

「ニュー・ルック」は熱狂的な支持と激しい反発の両方を巻き起こした。支持派は、戦争の暗い時代が終わり、女性らしい豊かさと優雅さが戻ってきたことを喜んだ。コレクションの衣装は完売し、世界の富裕層女性がパリに駆けつけた。アメリカのデパートはすぐにニュー・ルックにインスパイアされたコレクションを量産し始めた。

一方、批判の声も根強かった。戦時中に男性と対等に働き、活動的なファッションに慣れ親しんでいた女性たちにとって、細いウエストを強調するシルエットはコルセット時代への逆行に映った。フランスのフェミニスト活動家たちは「ディオールは女性を再び縛りつけようとしている」と声を上げた。

イギリスでは布地の配給制度がまだ続いていたため、「布の無駄遣い」として抗議運動まで発生した。ストリートでニュー・ルックのスカートを着た女性と抗議者との衝突が報じられる場面もあった。ニュー・ルックは単なるファッションを超え、戦後社会における女性の役割をめぐる論争の象徴となった。

クリスチャン・ディオールの早すぎる死と後継者たち

1947年から10年、ディオールは毎シーズン新しいラインを発表し続けた。「A-ライン」「H-ライン」「Y-ライン」など、シルエットに名前をつけて発表するスタイルはメディアと消費者の注目を集め続けた。しかし1957年10月24日、イタリア・トスカーナのモンテカティーニでカード遊び中に心臓発作を起こし、52歳の若さで急逝した。

後継者として指名されていたのは、当時わずか21歳のイヴ・サンローランだった。アルジェリア生まれの天才デザイナーはデビューコレクションで称賛を浴びたが、翌年フランス軍に徴兵され、メゾンを離れることになる。サンローランの後は、マーク・ボアン(1961〜1989)が長期にわたってメゾンを守り、ジャンフランコ・フェレ(1989〜1996)が引き継いだ。

1996年、ジョン・ガリアーノがアーティスティック・ディレクターに就任し、ディオールは再び世界の耳目を集める。壮大なスペクタクルとして演出されたオートクチュールは批評家を熱狂させたが、2011年に差別発言問題でガリアーノは解雇された。後任のラフ・シモンズ(2012〜2015)は対照的にミニマルで知的なアプローチをとり、新たなディオール像を確立した。

マリア・グラツィア・キウリと初の女性ディレクター(2016〜現在)

2016年、ディオール史上初の女性アーティスティック・ディレクターとしてマリア・グラツィア・キウリが就任した。それ自体が歴史的なニュースだったが、デビューコレクションで「We Should All Be Feminists(私たちは皆フェミニストであるべき)」と書かれたTシャツを登場させ、世界中の話題をさらった。

キウリは古代神話やフェミニズム思想、ハンドクラフトへの敬意をコレクションに織り込み、ディオールの現代的なアイデンティティを構築し続けている。その在任期間中、ディオールは過去最高の売上を更新し続けており、ラグジュアリー業界のトップブランドとしての地位は揺るぎない。

「ニュー・ルック」が歴史に刻んだもの

ニュー・ルックは単なるコレクションではなく、戦後世界のムードと欲望を体現したカルチャー現象だった。疲弊したヨーロッパに「美しさへの希望」を取り戻させ、パリをファッションの首都として世界に再認識させた。フランスの復興を象徴するソフトパワーとして、政府までもがディオールを支援した背景もある。

その具体的なシルエットは現代コレクションにそのまま再現されることはほとんどないが、「ファッションは時代精神の鏡である」という命題の最も明快な実例として、あらゆるファッション史の教科書に必ず登場し続けている。