創業とイタリア王室御用達
1913年、マリオ・プラダはイタリア・ミラノのガッレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世に革製品とスーツケースの専門店「フラテッリ・プラダ(Fratelli Prada=プラダ兄弟)」を創業した。イギリス製の上質なレザーグッズやスーツケース、ハンドバッグを扱う高級店は瞬く間に評判を高め、1919年にはイタリア王室サヴォイア家の公式サプライヤーとして認定を受け、王室紋章の使用を許可された。
当初マリオは、女性が経営に関わることを好まなかったと言われる。しかしその哲学は後に完全に覆されることになる。
ミウッチャ・プラダの就任と変革(1978〜)
1978年、マリオの孫娘であるミウッチャ・プラダ(本名:マリア・ビアンカ・ミウッチャ・プラダ)が家業を引き継いだ。ミウッチャはミラノ大学で政治学の博士号を取得し(または取得したとされ)、マルクス主義のフェミニストとして学生運動にも参加した経歴の持ち主だ。その知性とアクティビズムは、後のデザイン哲学に深く反映されることになる。
ビジネスパートナーであり後に夫となるパトリツィオ・ベルテッリと組み、ミウッチャはブランドを国際展開へと舵を切った。財務と経営をベルテッリが担い、クリエイティブをミウッチャが全権で掌握するという分業体制が確立された。
ナイロンバッグという革命(1985年)
ミウッチャの最初の大きな仕事は、1985年前後の黒いナイロン製バッグの発表だ。「ポコノ・ナイロン」という工業用・軍用の素材をラグジュアリーバッグに採用するという、当時では考えられない逆転の発想だった。
高価なレザーこそが高級品の証という業界常識を真っ向から否定し、「安い素材でも美しいものが作れる」という宣言だった。発表当初は戸惑いの声もあったが、シンプルで機能的なデザインと独特の光沢が徐々に支持を集め、今もプラダのベストセラーとして生産が続いている。このバッグはラグジュアリーファッションにおける素材の民主化を象徴する一品だ。
「醜さの美学」とインテレクチュアルなブランドイメージ
ミウッチャのデザイン哲学はしばしば批評家から「醜さの美学(ugly chic)」と評される。露骨にきれいな色、セクシーな形、わかりやすい装飾——そういった「簡単な美しさ」を避け、アンビバレントで知的なコントラストを追求してきた。
アカデミックなツイードとプラスチック素材の組み合わせ、あえて洗練を拒んだシルエット、当時「ダサい」と見なされていた素材(バナナプリント、ビニール、テクニカルファブリック)のラグジュアリー化。こうした判断はコレクションごとに批評家を困惑させながらも、毎シーズン「なぜそうなのか」を考えさせる力があった。
ミウッチャは常に「ファッションは社会を映す鏡」だと語り、フェミニズム、権力構造、アイデンティティといったテーマをコレクションに織り込み続けてきた。プラダを着ると頭が良くなる気がすると言われるのは、このインテレクチュアルなブランドイメージゆえだ。
ミュウミュウの誕生(1993年)
1993年、ミウッチャのニックネームを冠したセカンドライン「ミュウミュウ(Miu Miu)」が誕生した。プラダよりも若くプレイフルで、ミウッチャ自身の個人的な趣味がより直接的に反映されたブランドとして位置づけられる。
2020年代に入り、ミュウミュウはY2Kリバイバルやローライズシルエットが若い世代に支持されたことで爆発的な注目を集めた。2023年の売上成長率はラグジュアリー業界全体を大きく上回り、プラダグループの業績を牽引。今やミュウミュウは独立した世界的ラグジュアリーブランドとして認識されるほどの存在感を持つ。
ラフ・シモンズとの共同クリエイティブ・ディレクション(2020〜)
2020年、プラダはラフ・シモンズとの共同クリエイティブ・ディレクション体制を発表した。カルバン・クラインを退任後のラフを迎えたこの人事は、業界に大きな衝撃を与えた。ミウッチャとラフ——それぞれが時代を代表するインテレクチュアルなデザイナーが同じブランドの舵を握るのは、ラグジュアリーファッション史上でも稀有な試みだ。
2021年春夏コレクションから始まった共同体制では、二者の対話がコレクションの核となっている。ミウッチャの哲学的・挑発的なアプローチと、ラフの構築的でエモーショナルな美学が化学反応を起こし、コンセプチュアルな強度はそのままに、よりクリーンでモダンな質感が加わった。
「僕たちはいつも議論している。それが良いことだと思う」とラフは語る。その議論の痕跡がコレクションに現れ、観る者に考える余白を与え続けている。プラダはいま、ラグジュアリーファッションのインテレクチュアルな最前線として揺るぎない地位を確立している。